2021年06月16日

「おはら舞ニュースレター My Wave no.21」を発行いたしました。

「おはら舞ニュースレター My Wave no.21」を発行いたしました。
ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

 
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【新コーナー】地域の取り組みをピックアップNo.2 伝統行事「稲の虫送り」の取組(多門院地区)

☆説明文のつづき



*「稲の虫送り」について
文責 新谷 一幸
「稲の虫送り」行事は、
  むかし、老いた平家の落ち武者・斉藤別当実盛(サイトウベットウサネモリ)は、追っ手から逃れている最中に、足元がおぼつかなくなり、稲株(イネカブ)に足を取られて転んだところを討ち取られた。彼は最期に「おのれ、稲株め、覚えておれ。害虫に生まれ変わって田畑を食い荒らしてやるぞ」と恨みの言葉を吐いたと言う。
  その霊をなぐさめ、豊作を祈願するために始まったと言われている。

  江戸時代には、稲の害虫を松明の火で燃やすという直接的な効果を狙って行っていた。科学的な除虫剤がない時代に、虫害はたびたび甚大な被害をもたらし、飢饉をもたらし、特に1732年(享保17年)の虫害は、西日本一帯に広がり、多くの餓死者を出す大飢饉となった。
  ちなみに、伊根地区などは、この飢饉を機に虫害対策として普及したのが、鯨油(クジラアブラ)を水田に撒き、虫を水面に落として油と一緒に流すという方法。
  伊根湾は、鯨の捕獲習慣があって、鯨油は手に入り易く、江戸時代の農学者大蔵永常(オオクラナガツネ)が著した「除蝗録(ジョコウロク)」には、「虫を防除するには、鯨油を最上とす」とあり、鯨油が一番良いとされていた。
  その方法は、まず田の水面に一坪一さじ程度撒いて攪拌(カクハン)し広げ、次に葉に付いた虫を水面に落とし、他の排水口を開けて水と一緒に虫を流すと云うものでした。(一部、京都府丹後郷土資料館展示参照)
  多門院黒部には、昭和28年の台風13号までは、「誘蛾灯」が田んぼの近くにあって,誘蛾灯の下には「受け皿」があって、その中に「コールタール」や「油」が塗ってあり、虫が落ちてくっ付くようになっていたのを思い出します。(「誘蛾灯」当番もあった。)

  「稲の虫送り」は、江戸時代に全国的に広まり、松明は、2〜3mの長さで、枯れた竹を割り、その中に稲わらや種を取った後の乾燥した大根や菜種なの穂先を中に入れ、棕櫚縄(シュロナワ)やわら縄で縛り持ち手を付けたものが多い。当地では、鉦(カネ)を先頭に練り歩くが、他地区は、太鼓や鉦または先の「斉藤別当実盛(サイトウベットウサネモリ)」が馬に乗った姿を模した藁(ワラ)でできた馬に人形を乗せ、先頭を歩き、最後にその藁人形の馬もろとも燃やして「実盛」を供養すると云う所もあるようです。

  今年も稲の害虫が「多い」ようですので、みなさん大声で
     「い〜ねのむ〜し、お〜くろや。ひょうたんたたいて、お〜きの島までお〜くろや。」
と叫んで害虫を追い払いましょう。
posted by 舞 at 12:12| Comment(0) | 活動日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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