2025年12月31日
【第6回】「運」は心の持ちよう 〜素直な心で道を拓く〜
【第6回】「運」は心の持ちよう 〜素直な心で道を拓く〜
第5回では、「衆知を集める」ことの大切さについて、松下幸之助塾主の実践をもとに考えました。今回は、そこに「運」という要素を重ねて、リーダーとしての資質や学びの姿勢について掘り下げてみたいと思います。
◆「運が強い」と自覚した体験
松下幸之助塾主は、若い頃に二度の生死に関わる事故を無傷で乗り越えた経験から、「自分は運が強い」と強く自覚するようになりました。
一つは、通勤中の船から海に転落したものの、船が引き返して救助され命拾いした出来事。
もう一つは、商売をはじめて間もない頃に自転車で自動車と衝突し、電車道に投げ出されながらも、電車が間一髪で止まり、かすり傷一つ負わなかったことです。
これらの体験を通じて松下幸之助塾主は、
「自分は運が強い」「自分は滅多なことでは死なない」と確信し、その後の経営と人生を支える大きな自信につながったとされています。
◆ 面接で問われた「運がいいか」
また、松下政経塾の入塾基準は『運と愛嬌』と言われています。
松下幸之助塾主は、かつて松下政経塾の塾生選考の面接で受験者にこう尋ねたと伝えられています:
「あんさんは運がよろしいですか?」
この問いは、困難を前向きに受け止め、運命を自らの力で切り拓こうとする姿勢があるかどうかを見極めるためだったといわれています。運の強さというのは、心の持ち方や行動のあり方にも関わる、というのが塾主の考えでした。
松下政経塾の五誓には、次のように記されています。
一.素志貫徹の事
常に志を抱きつつ懸命に為すべきを為すならば、
いかなる困難に出会うとも道は必ず開けてくる。
成功の要諦は成功するまで続けるところにある。
(松下政経塾 五誓より)
「成功の要諦は成功するまで続けるところにある」
これは私が困難に直面したとき、何度も自分に言い聞かせる言葉です。成功するまで途中で諦めないこと、それが成功の要諦であり、「自分は運が強い」と信じること、そして一見マイナスな出来事も「この困難をどう活かせるか」と発想を転換することで、運を自ら引き寄せることができるのだと実感しています。
また昭和54年、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者、エズラ・F・ヴォーゲル氏との対談(『松下幸之助発言集 第16巻』)でも、松下政経塾の入塾生の選考について、どういうことを一番重視するかという問いに対し、「いろいろの要素が大事でしょうな。特に人間的魅力ですよ。それを見るにはカン以外ないな。」
と語られています。
人間的魅力は、学歴や経歴などの表面的な評価だけでは測れないものです。だからこそ、日々の生活の中で徳を磨き、周囲との信頼関係を築いていく姿勢が求められているのでしょう。
◆ 成功の条件としての「運」と「愛嬌」
松下幸之助塾主は、「成功の条件は、頭のよさでも勤勉さでもない」と説かれています。では、その条件とは何かと問われたとき、塾主は「運」と「愛嬌」、そしてその上での賢さや勤勉さなどの能力が必要だと、常々強調していました(『リーダーになる人に知ってほしいこと』より)。
この観点から見れば、「運がいい」というのは、単なる偶然の幸運に恵まれることではなく、他者を惹きつけ、協力を得られるような人間性と深く結びついていると捉えられます。そして、そのうえで努力を怠らないことこそが、成功の本質なのだと思います。
◆ 私自身の「運」について
私事ではありますが、私はこれまでに、九死に一生を得るような体験を三度経験しています。そのたびに、「自分は何かのために生かされているのではないか」という不思議な感覚を抱いてきました。
振り返れば、人生の節目ごとに思いがけない出会いや機会に恵まれ、その積み重ねが今の自分を形づくっているように思います。
私が松下政経塾の存在を知ったのは高校二年生の時です。進路に悩んでいた私は、東舞鶴図書館にて、たまたま松下政経塾の本を手にしました。実は私は、その時点で「経営の神様」と称される松下幸之助氏の存在すら知りませんでした。
一気にその本を読み終え、経済的な理由から大学進学すらままならないと感じていた私は、その時、「私は必ずこの松下政経塾に入塾する」と心に誓いました。
実際に私が入塾に向けて努力を重ね、松下政経塾の試験に挑戦したのは、32歳の時でした。おそらく筆記試験の点数はあまり良くなかったと思われます。しかし、後からうかがった話では、私たちの代だけの試みだったそうですが、筆記試験や面接を経て選考が進む中、「汚れてもよい格好で集合するように」との指示がありました。参加者は何をするのかも分からないまま、ジャージ姿で茅ヶ崎の塾近くの公園に集合させられたのです。
そして、試験内容は、なんと素手で公園のトイレ掃除をするというものでした。
その瞬間、私は「運が良い」と思いました。というのも、私は植木屋の娘として、幼少の頃から父のもとで掃除の手伝いをしてきましたし、海上自衛隊での寮生活では、トイレ掃除は水一滴残さず雑巾で拭くということにも慣れていました。だからこそ、たとえ学力や能力では周囲に劣っていたとしても、この「掃除」と「志」という熱意だけは誰にも負けないという思いで、選考に臨むことができたのです。
結果として、2007年に第28期生として念願の松下政経塾に入塾することができました。
(※なお、2008年後半には衆議院議員選挙出馬のために退塾)
入塾一期生から一桁台の先輩方の中には、松下幸之助塾主に直接面接されて選ばれた方もおられ、大変うらやましく思います。しかし、私は途中で退塾し実践の道を選んだことも、前向きに受け止め「卒塾はできなかったけれども、自分は一生、松下政経塾生」と心に誓い、日々、松下幸之助塾主の思想・哲学を拠り所に学び続けている次第です。
◆「運」とは、自らを信じ、人に学ぶ姿勢に宿る
松下幸之助塾主は、「自分には特別な才能もなく、体も強くなかった」と繰り返し語っておられます。
けれどもその弱さを、嘆くのではなく「ありがたい試練」と捉え、「だからこそ人に尋ね、頼ることができた」と前向きに受け止めておられました。
塾主はまた、自分の成功は、「運がよかったから」とも語っておられます。
つまり、運とは他力ではなく、素直な心で人に学び、衆知を集める中に宿るものなのでしょう。
そして何より、「運は心の持ちよう」だと感じます。自分は運がいいと信じ、出会いや出来事を前向きに捉えられるかどうか−−その心の姿勢が、幸運を引き寄せていくのではないでしょうか。
◆結びに
人との出会い、思いがけない助け、道がひらける瞬間−−
それらは、単なる“運”という一言では言い表せない、かけがえのない巡り合わせです。
日々、素直な心で学び、徳を積み、志を語り続ける−−
その積み重ねの先に、“運”が訪れるのだと思います。
松下幸之助塾主の教えに学びながら、
私もまた、素直な心で衆知を集め、“運”を信じて歩んでまいります。
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