2025年12月31日
【第6回】「運」は心の持ちよう 〜素直な心で道を拓く〜
【第6回】「運」は心の持ちよう 〜素直な心で道を拓く〜
第5回では、「衆知を集める」ことの大切さについて、松下幸之助塾主の実践をもとに考えました。今回は、そこに「運」という要素を重ねて、リーダーとしての資質や学びの姿勢について掘り下げてみたいと思います。
◆「運が強い」と自覚した体験
松下幸之助塾主は、若い頃に二度の生死に関わる事故を無傷で乗り越えた経験から、「自分は運が強い」と強く自覚するようになりました。
一つは、通勤中の船から海に転落したものの、船が引き返して救助され命拾いした出来事。
もう一つは、商売をはじめて間もない頃に自転車で自動車と衝突し、電車道に投げ出されながらも、電車が間一髪で止まり、かすり傷一つ負わなかったことです。
これらの体験を通じて松下幸之助塾主は、
「自分は運が強い」「自分は滅多なことでは死なない」と確信し、その後の経営と人生を支える大きな自信につながったとされています。
◆ 面接で問われた「運がいいか」
また、松下政経塾の入塾基準は『運と愛嬌』と言われています。
松下幸之助塾主は、かつて松下政経塾の塾生選考の面接で受験者にこう尋ねたと伝えられています:
「あんさんは運がよろしいですか?」
この問いは、困難を前向きに受け止め、運命を自らの力で切り拓こうとする姿勢があるかどうかを見極めるためだったといわれています。運の強さというのは、心の持ち方や行動のあり方にも関わる、というのが塾主の考えでした。
松下政経塾の五誓には、次のように記されています。
一.素志貫徹の事
常に志を抱きつつ懸命に為すべきを為すならば、
いかなる困難に出会うとも道は必ず開けてくる。
成功の要諦は成功するまで続けるところにある。
(松下政経塾 五誓より)
「成功の要諦は成功するまで続けるところにある」
これは私が困難に直面したとき、何度も自分に言い聞かせる言葉です。成功するまで途中で諦めないこと、それが成功の要諦であり、「自分は運が強い」と信じること、そして一見マイナスな出来事も「この困難をどう活かせるか」と発想を転換することで、運を自ら引き寄せることができるのだと実感しています。
また昭和54年、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者、エズラ・F・ヴォーゲル氏との対談(『松下幸之助発言集 第16巻』)でも、松下政経塾の入塾生の選考について、どういうことを一番重視するかという問いに対し、「いろいろの要素が大事でしょうな。特に人間的魅力ですよ。それを見るにはカン以外ないな。」
と語られています。
人間的魅力は、学歴や経歴などの表面的な評価だけでは測れないものです。だからこそ、日々の生活の中で徳を磨き、周囲との信頼関係を築いていく姿勢が求められているのでしょう。
◆ 成功の条件としての「運」と「愛嬌」
松下幸之助塾主は、「成功の条件は、頭のよさでも勤勉さでもない」と説かれています。では、その条件とは何かと問われたとき、塾主は「運」と「愛嬌」、そしてその上での賢さや勤勉さなどの能力が必要だと、常々強調していました(『リーダーになる人に知ってほしいこと』より)。
この観点から見れば、「運がいい」というのは、単なる偶然の幸運に恵まれることではなく、他者を惹きつけ、協力を得られるような人間性と深く結びついていると捉えられます。そして、そのうえで努力を怠らないことこそが、成功の本質なのだと思います。
◆ 私自身の「運」について
私事ではありますが、私はこれまでに、九死に一生を得るような体験を三度経験しています。そのたびに、「自分は何かのために生かされているのではないか」という不思議な感覚を抱いてきました。
振り返れば、人生の節目ごとに思いがけない出会いや機会に恵まれ、その積み重ねが今の自分を形づくっているように思います。
私が松下政経塾の存在を知ったのは高校二年生の時です。進路に悩んでいた私は、東舞鶴図書館にて、たまたま松下政経塾の本を手にしました。実は私は、その時点で「経営の神様」と称される松下幸之助氏の存在すら知りませんでした。
一気にその本を読み終え、経済的な理由から大学進学すらままならないと感じていた私は、その時、「私は必ずこの松下政経塾に入塾する」と心に誓いました。
実際に私が入塾に向けて努力を重ね、松下政経塾の試験に挑戦したのは、32歳の時でした。おそらく筆記試験の点数はあまり良くなかったと思われます。しかし、後からうかがった話では、私たちの代だけの試みだったそうですが、筆記試験や面接を経て選考が進む中、「汚れてもよい格好で集合するように」との指示がありました。参加者は何をするのかも分からないまま、ジャージ姿で茅ヶ崎の塾近くの公園に集合させられたのです。
そして、試験内容は、なんと素手で公園のトイレ掃除をするというものでした。
その瞬間、私は「運が良い」と思いました。というのも、私は植木屋の娘として、幼少の頃から父のもとで掃除の手伝いをしてきましたし、海上自衛隊での寮生活では、トイレ掃除は水一滴残さず雑巾で拭くということにも慣れていました。だからこそ、たとえ学力や能力では周囲に劣っていたとしても、この「掃除」と「志」という熱意だけは誰にも負けないという思いで、選考に臨むことができたのです。
結果として、2007年に第28期生として念願の松下政経塾に入塾することができました。
(※なお、2008年後半には衆議院議員選挙出馬のために退塾)
入塾一期生から一桁台の先輩方の中には、松下幸之助塾主に直接面接されて選ばれた方もおられ、大変うらやましく思います。しかし、私は途中で退塾し実践の道を選んだことも、前向きに受け止め「卒塾はできなかったけれども、自分は一生、松下政経塾生」と心に誓い、日々、松下幸之助塾主の思想・哲学を拠り所に学び続けている次第です。
◆「運」とは、自らを信じ、人に学ぶ姿勢に宿る
松下幸之助塾主は、「自分には特別な才能もなく、体も強くなかった」と繰り返し語っておられます。
けれどもその弱さを、嘆くのではなく「ありがたい試練」と捉え、「だからこそ人に尋ね、頼ることができた」と前向きに受け止めておられました。
塾主はまた、自分の成功は、「運がよかったから」とも語っておられます。
つまり、運とは他力ではなく、素直な心で人に学び、衆知を集める中に宿るものなのでしょう。
そして何より、「運は心の持ちよう」だと感じます。自分は運がいいと信じ、出会いや出来事を前向きに捉えられるかどうか−−その心の姿勢が、幸運を引き寄せていくのではないでしょうか。
◆結びに
人との出会い、思いがけない助け、道がひらける瞬間−−
それらは、単なる“運”という一言では言い表せない、かけがえのない巡り合わせです。
日々、素直な心で学び、徳を積み、志を語り続ける−−
その積み重ねの先に、“運”が訪れるのだと思います。
松下幸之助塾主の教えに学びながら、
私もまた、素直な心で衆知を集め、“運”を信じて歩んでまいります。
2025年11月15日
【第5回】「衆知を集める」−−一流の指導者に求められる素直な姿勢とは−−
【第5回】
「衆知を集める」
−−一流の指導者に求められる素直な姿勢とは−−
素直な心で衆知を集め
自修自得で事の本質を究め
日に新たな生成発展の道を求めよう
――松下政経塾・塾訓より
前回のブログでは、「素直な心」の大切さについて取り上げました。
この塾訓にもあるように、「衆知を集める」という姿勢は、松下幸之助塾主が一貫して大切にされてきた、指導者に求められる根本的な心構えです。
決して一人で物事を決めるのではなく、他者の知恵や経験、率直な意見に心を開き、素直に耳を傾けること。
そこから本質をつかみ、判断へとつなげていく。
これこそが、真に一流のリーダーに必要な資質であると、松下幸之助塾主は語っておられます。
◆「尋ねる人こそ、慕われる人である」
松下幸之助塾主は自らの体験を通して、次のように語っておられます。
「自分がやれないから、人に頼むしかなかった。そうして助けてもらったことが、結果として
プラスになった」
(『松下幸之助発言集 第14巻』より)
体が弱かったことで、無理に抱え込まず、人に尋ね、頼ることが当たり前になった−−。
松下幸之助塾主は、自らの人生を振り返る中で、しばしば「自分は特別な才能に恵まれていたわけでもなく、
体も強くなかった」と語り、その「弱さ」ゆえに人の力を借りながら歩んできたことが、むしろ大きな学び
となり、後の成功につながったと述べています。
さらに塾主は、「成功の三大要因」として、貧乏・病弱・無学歴を挙げました。
•貧しかったからこそ、幼い頃から丁稚奉公に出され、実践を通じて商人としてのしつけを受けることができた。
•病弱だったからこそ、何でも自分でやろうとせず、人に仕事を頼み、任せることを自然に覚えた。
•学歴がなかったからこそ、「知らない」ことを素直に認め、人に教えを請う姿勢を身につけることができた。
一見すると不運に見える状況を、嘆くのではなく「ありがたい試練」として受けとめ、むしろ人生を切り開く力に
変えていく−−。
こうした経験の積み重ねが、塾主の中に
「誰の声にも耳を傾ける姿勢」
を自然に育てていったのです。
そのため松下幸之助塾主は、立場や年齢に関係なく、小僧さんの言葉にも真剣に耳を傾け、そこから学ぼうとされました。
そして、どんな小さな提案にも「なるほど」と素直に受け止める姿勢を、生涯にわたり貫かれたのです。
◆衆知は“自然と集まるもの”
対談の中で、指導者の情報収集について問われた際、松下幸之助塾主はこう語っています。
「情報を集めるということにとらわれたらいけません。それでは、かえって情報は入らない。入ったら間違いだと
思いますね。やはり、自然に分かるものです。天の声といいますか地の声といいますか、そういうものをいわば心の耳で判断
するわけです」
(『松下幸之助発言集 第16巻』より)
さらに、
「どんな人間とも私は会うのです。時間の許すかぎり、きょう入った人とも会って、常に聞いています。それで判断するの
です。」
「だから、自分の独断は独断にあらず、全員の思いも一緒だと、こういう考えをもっているわけです。」
つまり、「衆知を集めよう」と構えずとも、日常のなかで一人ひとりと誠実に向き合い、素直な心で接する。その積み重ねが、
結果として大きな知恵の結集につながっていくのです。
◆自然体で、人と向き合う
松下幸之助塾主は「誰にでも話しやすいようにしている」とも語っています。
リーダーが「怖い」「近寄りがたい」存在ではなく、どんな立場の人でも意見を伝えられるような雰囲気づくりこそが、実は
組織力を高める第一歩なのだと気づかされます。
形式だけのヒアリングや、情報を得るためのポーズではなく、「その人の声に真摯に向き合うこと」
それが「衆知を集める」という姿勢の本質ではないでしょうか。
◆衆知を集める「実践哲学」として
以前にも述べましたが、私は松下幸之助塾主の思想・哲学は「実践哲学」だと確信しています。
「衆知を集める」ことも、実際にやってみてこそ、その価値が実感できるものです。
例えば、日常会話や会議の場で、私はできる限り自分の話を控え、相手の話に集中するよう心がけていますが、
それでもつい話を聞きながら次の自分の返答を考えてしまい、真に耳を傾けられていない自分に気づくことも
あります。
そんな時は、自分が目の前の人を尊重し、きちんと向き合えているかを自問自答します。
そして、チームで意見を交わし、一人ひとりの天分や持ち味が活かされたとき、自分一人では到底思いつかなかった
ような素晴らしい成果が生まれる−−そのような経験を、私はこれまでに何度もしてきました。
個人・組織・国家経営に至るまで、「衆知を集める」姿勢を持ち続けることで、必ずや前進できると私
は信じています。
◆ 謙虚に尋ねる、その先に共感と信頼が生まれる
今、混迷の時代を生きる私たちにこそ、松下幸之助塾主の「素直な心で衆知を集める」という教えが求められているのでは
ないでしょうか。
リーダーは、必ずしもすべてを知っている必要はありません。むしろ「知らない」と素直に認め、他者に耳を傾ける姿勢こそ
が、真の信頼と共感を生み、未来を拓く原動力になるのではないでしょうか。
「尋ねる人こそ、慕われる人である」
それは、松下幸之助塾主ご自身が、人生と経営を通じて体現してこられた真理であると私は感じています。
私自身、まだまだ未熟ではありますが、これからも謙虚な心と情熱をもって、地域の皆さまのお声に真摯に耳を傾けながら、
皆様と共に未来をつくる歩みを重ねてまいります。
🌱次回もまた、松下幸之助塾主の思想・哲学をもとに、今の時代を考えます。
公開予定日:2025年12月15日(月)頃
是非ともご覧いただければ嬉しいです^^
「衆知を集める」
−−一流の指導者に求められる素直な姿勢とは−−
素直な心で衆知を集め
自修自得で事の本質を究め
日に新たな生成発展の道を求めよう
――松下政経塾・塾訓より
前回のブログでは、「素直な心」の大切さについて取り上げました。
この塾訓にもあるように、「衆知を集める」という姿勢は、松下幸之助塾主が一貫して大切にされてきた、指導者に求められる根本的な心構えです。
決して一人で物事を決めるのではなく、他者の知恵や経験、率直な意見に心を開き、素直に耳を傾けること。
そこから本質をつかみ、判断へとつなげていく。
これこそが、真に一流のリーダーに必要な資質であると、松下幸之助塾主は語っておられます。
◆「尋ねる人こそ、慕われる人である」
松下幸之助塾主は自らの体験を通して、次のように語っておられます。
「自分がやれないから、人に頼むしかなかった。そうして助けてもらったことが、結果として
プラスになった」
(『松下幸之助発言集 第14巻』より)
体が弱かったことで、無理に抱え込まず、人に尋ね、頼ることが当たり前になった−−。
松下幸之助塾主は、自らの人生を振り返る中で、しばしば「自分は特別な才能に恵まれていたわけでもなく、
体も強くなかった」と語り、その「弱さ」ゆえに人の力を借りながら歩んできたことが、むしろ大きな学び
となり、後の成功につながったと述べています。
さらに塾主は、「成功の三大要因」として、貧乏・病弱・無学歴を挙げました。
•貧しかったからこそ、幼い頃から丁稚奉公に出され、実践を通じて商人としてのしつけを受けることができた。
•病弱だったからこそ、何でも自分でやろうとせず、人に仕事を頼み、任せることを自然に覚えた。
•学歴がなかったからこそ、「知らない」ことを素直に認め、人に教えを請う姿勢を身につけることができた。
一見すると不運に見える状況を、嘆くのではなく「ありがたい試練」として受けとめ、むしろ人生を切り開く力に
変えていく−−。
こうした経験の積み重ねが、塾主の中に
「誰の声にも耳を傾ける姿勢」
を自然に育てていったのです。
そのため松下幸之助塾主は、立場や年齢に関係なく、小僧さんの言葉にも真剣に耳を傾け、そこから学ぼうとされました。
そして、どんな小さな提案にも「なるほど」と素直に受け止める姿勢を、生涯にわたり貫かれたのです。
◆衆知は“自然と集まるもの”
対談の中で、指導者の情報収集について問われた際、松下幸之助塾主はこう語っています。
「情報を集めるということにとらわれたらいけません。それでは、かえって情報は入らない。入ったら間違いだと
思いますね。やはり、自然に分かるものです。天の声といいますか地の声といいますか、そういうものをいわば心の耳で判断
するわけです」
(『松下幸之助発言集 第16巻』より)
さらに、
「どんな人間とも私は会うのです。時間の許すかぎり、きょう入った人とも会って、常に聞いています。それで判断するの
です。」
「だから、自分の独断は独断にあらず、全員の思いも一緒だと、こういう考えをもっているわけです。」
つまり、「衆知を集めよう」と構えずとも、日常のなかで一人ひとりと誠実に向き合い、素直な心で接する。その積み重ねが、
結果として大きな知恵の結集につながっていくのです。
◆自然体で、人と向き合う
松下幸之助塾主は「誰にでも話しやすいようにしている」とも語っています。
リーダーが「怖い」「近寄りがたい」存在ではなく、どんな立場の人でも意見を伝えられるような雰囲気づくりこそが、実は
組織力を高める第一歩なのだと気づかされます。
形式だけのヒアリングや、情報を得るためのポーズではなく、「その人の声に真摯に向き合うこと」
それが「衆知を集める」という姿勢の本質ではないでしょうか。
◆衆知を集める「実践哲学」として
以前にも述べましたが、私は松下幸之助塾主の思想・哲学は「実践哲学」だと確信しています。
「衆知を集める」ことも、実際にやってみてこそ、その価値が実感できるものです。
例えば、日常会話や会議の場で、私はできる限り自分の話を控え、相手の話に集中するよう心がけていますが、
それでもつい話を聞きながら次の自分の返答を考えてしまい、真に耳を傾けられていない自分に気づくことも
あります。
そんな時は、自分が目の前の人を尊重し、きちんと向き合えているかを自問自答します。
そして、チームで意見を交わし、一人ひとりの天分や持ち味が活かされたとき、自分一人では到底思いつかなかった
ような素晴らしい成果が生まれる−−そのような経験を、私はこれまでに何度もしてきました。
個人・組織・国家経営に至るまで、「衆知を集める」姿勢を持ち続けることで、必ずや前進できると私
は信じています。
◆ 謙虚に尋ねる、その先に共感と信頼が生まれる
今、混迷の時代を生きる私たちにこそ、松下幸之助塾主の「素直な心で衆知を集める」という教えが求められているのでは
ないでしょうか。
リーダーは、必ずしもすべてを知っている必要はありません。むしろ「知らない」と素直に認め、他者に耳を傾ける姿勢こそ
が、真の信頼と共感を生み、未来を拓く原動力になるのではないでしょうか。
「尋ねる人こそ、慕われる人である」
それは、松下幸之助塾主ご自身が、人生と経営を通じて体現してこられた真理であると私は感じています。
私自身、まだまだ未熟ではありますが、これからも謙虚な心と情熱をもって、地域の皆さまのお声に真摯に耳を傾けながら、
皆様と共に未来をつくる歩みを重ねてまいります。
🌱次回もまた、松下幸之助塾主の思想・哲学をもとに、今の時代を考えます。
公開予定日:2025年12月15日(月)頃
是非ともご覧いただければ嬉しいです^^
2025年10月15日
【第4回】素直な心こそ、時代を動かす真の原動力―― 強く、正しく、聡明に生きるために ――
【第4回】
素直な心こそ、時代を動かす真の原動力
―― 強く、正しく、聡明に生きるために ――
◆「素直な心」は、人生を導く羅針盤
「素直な心になりましょう。素直な心はあなたを強く正しく聡明にいたします」
これは松下幸之助塾主の言葉です。
「強く、正しく、聡明に」――この三拍子がそろった人間は、まさに理想的なリーダーであり、社会人としても信頼される存在です。
しかし、「素直な心」とは、ただ人の言うことに従順であることを指すのではありません。私心なくくもりのない心、一つのことにとらわれずに、物事をあるがままに見ようとする心と言われています。
塾主は、「素直な心とはどういうものか」と問われた際、次のように話されたそうです。
それは、何事にもとらわれない融通無碍(ゆうづうむげ)な心のあり方であり、なろうなろうと心掛けても30年かかる。それでやっと『素直初段』とのことです。
この「30年かかる」という言葉の背景には、囲碁の例え話があります。「碁を一万回打てば誰でも初段になれる」という言葉があるように、素直な心もまた、1万日(=約30年)かけて磨き上げていく修養の道なのだというのです。日々、「素直になりたい」と願い、努力し続ける中で、ようやくその「初段」にたどり着く。これは、精神の修養であり、生き方の道でもあります。
◆私の実践 ――「素直な心 初段」を目指して
私は、松下幸之助塾主の思想・哲学は、“実践哲学”であると受け止めています。
著書を読むたびに、「なるほど、良いことをおっしゃっているな」と感心するだけで終わらせず、まさに“素直な心”で実践することが大切だと感じています。
とりわけ、塾主の著書『素直な心になるために』(PHP文庫)に収められている「素直な心を養うための実践十ヵ条」は、私の実践の指針になっています。

例えば、毎朝カーテンを開けて天を仰ぎながら「素直になりますように」と3回唱え、今日も素直な心で1日を始めようと誓うことを日課にしています。
また、人間関係や政治の判断など、迷いが生じた時には、自分に問いかけるようにしています。
「素直な心で言えば(考えれば)、どうすれば良いだろうか?」
私心なきとらわれない心で相手に向き合っているか、事に臨んでいるか、自分の内面を見つめ直すための問いです。
まだまだ実践は未熟ではありますが、一万日続けた先には、私もきっと「素直な心の初段」になれる――そう信じて取り組んでいます。
◆経営の原点にも「素直な心」がある
この「素直な心」は、単なる精神修養ではありません。実際に政治の現場や会社経営を含む”経営”においても、この心のありようが、成功への鍵を握っています。
「経営というのは、天地自然の理に従い、世間、大衆の声を聞き、社内の衆知を集めて、なすべきことを行っていけば、必ず成功するものである。その意味では必ずしもむずかしいことではない。」
「素直な心になれば、物事の実相が見える。それにもとづいて、何をなすべきか、何をなさざるべきかということも分かってくる。なすべきを行い、なすべからざるを行わない真の勇気もそこから湧いてくる。」
(『実践経営哲学』(PHP研究所)より)
また、天地自然の理に従うとは、「雨が降れば傘をさす」というようなものだと述べられています。
その実践は、共感する力、聴く姿勢、謙虚な心を軸に、リーダーシップと組織づくりに反映されています。
印象的なエピソードがあります。
ある日、松下幸之助氏のもとにテレビの試作品が持ち込まれ、技術者や役員たちがその性能について熱心に説明していました。その最中に、お茶を運んできた事務職の女性社員に対して、松下幸之助塾主は「どう思う?」「形や色はどうや」と率直な感想を求められたといいます。
その場には技術の専門家たちが揃っていたにもかかわらず、あえて現場の女性社員に意見を尋ねたのは、実際に製品を手にするのは一般の消費者であり、肩書きや立場にとらわれず素直な視点、現場の率直な声こそが大切だという塾主の深い信念があったのでしょう。
まさに、素直な心で衆知を集める実践の姿です。
◆混迷の時代にこそ、素直な心を
「素直な心こそが人間を幸せにし、また人類に繁栄と平和と幸福をもたらすものである」
素直な心とは、自分自身を変え、組織を変え、やがて社会をも変えていく原動力です。
「素直な心が成功を引き寄せる」――
この言葉は、松下幸之助塾主が、経営者としての実体験を通じて得られた確信に基づくものです。
日々の暮らしや仕事の中で、私たちはどれだけ自分の心を整えることができるか。
自分自身を見つめ直し、他者に対して誠実であろうと努める。
その積み重ねは、目には見えずとも確かな影響力を生み出し、やがて周囲へと静かに伝わっていきます。
そうした心のあり方は、共感を呼び、人を動かし、社会を調和へと導く力となるのです。
2025年の今、国際情勢はかつてない緊張を孕み、国内政治も混迷の時代を迎えています。
こうしたときだからこそ、お互いが「素直な心」で向き合うことの大切さが、いっそう問われているように感じます。
私心なく、くもりのない心で、
物事の実相をとらえ、真理に従って判断し、
「強く、正しく、聡明に」あろうと努める。
その姿勢のもと、衆知を集め、人類の叡智を発揮できる世の中を築いていくこと――
それは、まず一人ひとりの実践から始まるのだと思うのです。
そう信じて、私もまた今日一日、
「素直になりますように」と天に誓いながら歩みを進めてまいります。
🌱次回もまた、松下幸之助塾主の思想・哲学をもとに、今の時代を考えます。
公開予定日:2025年11月15日(土)
是非ともご覧いただければ嬉しいです^^
素直な心こそ、時代を動かす真の原動力
―― 強く、正しく、聡明に生きるために ――
◆「素直な心」は、人生を導く羅針盤
「素直な心になりましょう。素直な心はあなたを強く正しく聡明にいたします」
これは松下幸之助塾主の言葉です。
「強く、正しく、聡明に」――この三拍子がそろった人間は、まさに理想的なリーダーであり、社会人としても信頼される存在です。
しかし、「素直な心」とは、ただ人の言うことに従順であることを指すのではありません。私心なくくもりのない心、一つのことにとらわれずに、物事をあるがままに見ようとする心と言われています。
塾主は、「素直な心とはどういうものか」と問われた際、次のように話されたそうです。
それは、何事にもとらわれない融通無碍(ゆうづうむげ)な心のあり方であり、なろうなろうと心掛けても30年かかる。それでやっと『素直初段』とのことです。
この「30年かかる」という言葉の背景には、囲碁の例え話があります。「碁を一万回打てば誰でも初段になれる」という言葉があるように、素直な心もまた、1万日(=約30年)かけて磨き上げていく修養の道なのだというのです。日々、「素直になりたい」と願い、努力し続ける中で、ようやくその「初段」にたどり着く。これは、精神の修養であり、生き方の道でもあります。
◆私の実践 ――「素直な心 初段」を目指して
私は、松下幸之助塾主の思想・哲学は、“実践哲学”であると受け止めています。
著書を読むたびに、「なるほど、良いことをおっしゃっているな」と感心するだけで終わらせず、まさに“素直な心”で実践することが大切だと感じています。
とりわけ、塾主の著書『素直な心になるために』(PHP文庫)に収められている「素直な心を養うための実践十ヵ条」は、私の実践の指針になっています。
例えば、毎朝カーテンを開けて天を仰ぎながら「素直になりますように」と3回唱え、今日も素直な心で1日を始めようと誓うことを日課にしています。
また、人間関係や政治の判断など、迷いが生じた時には、自分に問いかけるようにしています。
「素直な心で言えば(考えれば)、どうすれば良いだろうか?」
私心なきとらわれない心で相手に向き合っているか、事に臨んでいるか、自分の内面を見つめ直すための問いです。
まだまだ実践は未熟ではありますが、一万日続けた先には、私もきっと「素直な心の初段」になれる――そう信じて取り組んでいます。
◆経営の原点にも「素直な心」がある
この「素直な心」は、単なる精神修養ではありません。実際に政治の現場や会社経営を含む”経営”においても、この心のありようが、成功への鍵を握っています。
「経営というのは、天地自然の理に従い、世間、大衆の声を聞き、社内の衆知を集めて、なすべきことを行っていけば、必ず成功するものである。その意味では必ずしもむずかしいことではない。」
「素直な心になれば、物事の実相が見える。それにもとづいて、何をなすべきか、何をなさざるべきかということも分かってくる。なすべきを行い、なすべからざるを行わない真の勇気もそこから湧いてくる。」
(『実践経営哲学』(PHP研究所)より)
また、天地自然の理に従うとは、「雨が降れば傘をさす」というようなものだと述べられています。
その実践は、共感する力、聴く姿勢、謙虚な心を軸に、リーダーシップと組織づくりに反映されています。
印象的なエピソードがあります。
ある日、松下幸之助氏のもとにテレビの試作品が持ち込まれ、技術者や役員たちがその性能について熱心に説明していました。その最中に、お茶を運んできた事務職の女性社員に対して、松下幸之助塾主は「どう思う?」「形や色はどうや」と率直な感想を求められたといいます。
その場には技術の専門家たちが揃っていたにもかかわらず、あえて現場の女性社員に意見を尋ねたのは、実際に製品を手にするのは一般の消費者であり、肩書きや立場にとらわれず素直な視点、現場の率直な声こそが大切だという塾主の深い信念があったのでしょう。
まさに、素直な心で衆知を集める実践の姿です。
◆混迷の時代にこそ、素直な心を
「素直な心こそが人間を幸せにし、また人類に繁栄と平和と幸福をもたらすものである」
素直な心とは、自分自身を変え、組織を変え、やがて社会をも変えていく原動力です。
「素直な心が成功を引き寄せる」――
この言葉は、松下幸之助塾主が、経営者としての実体験を通じて得られた確信に基づくものです。
日々の暮らしや仕事の中で、私たちはどれだけ自分の心を整えることができるか。
自分自身を見つめ直し、他者に対して誠実であろうと努める。
その積み重ねは、目には見えずとも確かな影響力を生み出し、やがて周囲へと静かに伝わっていきます。
そうした心のあり方は、共感を呼び、人を動かし、社会を調和へと導く力となるのです。
2025年の今、国際情勢はかつてない緊張を孕み、国内政治も混迷の時代を迎えています。
こうしたときだからこそ、お互いが「素直な心」で向き合うことの大切さが、いっそう問われているように感じます。
私心なく、くもりのない心で、
物事の実相をとらえ、真理に従って判断し、
「強く、正しく、聡明に」あろうと努める。
その姿勢のもと、衆知を集め、人類の叡智を発揮できる世の中を築いていくこと――
それは、まず一人ひとりの実践から始まるのだと思うのです。
そう信じて、私もまた今日一日、
「素直になりますように」と天に誓いながら歩みを進めてまいります。
🌱次回もまた、松下幸之助塾主の思想・哲学をもとに、今の時代を考えます。
公開予定日:2025年11月15日(土)
是非ともご覧いただければ嬉しいです^^
2025年09月15日
【第3回】人間を中心に据えた政治とは何か
【第3回】人間を中心に据えた政治とは何か
― 松下幸之助塾主「新しい人間観」の本質にふれて ―
◆ 政治の原点は「人間とは何か」の問いから
政治とは、制度や法律を整えること自体が目的ではありません。
その原点は常に、「人間とは何か」「人間はどう生きるべきか」という根源的な問いにあります。ここを見失えば、どれほど立派な仕組みも空洞化してしまいます。
松下幸之助塾主は、松下政経塾の開塾にあたり、まず塾生に「人間を把握すること」を説かれました。
最初に学ぶべきは憲法や政策論ではなく、「人間をどう捉えるか」という根本的な人間観です。制度や仕組みがいかに整っていても、人間へのまなざしが誤っていれば、やがて形だけのものとなり、本来の役割を失ってしまうからです。
教育・医療・福祉――あらゆる政策は、つまるところ「人が幸せに生きるための手段」です。
その根底には、「人間の可能性を信じ、引き出す」ことへの確信がなければなりません。
この確信こそ、私が日々立ち返る原点であり、松下幸之助塾主が提唱された『新しい人間観』に、その思想は明快に示されています。
◆ 「人間は万物の王者である」――かつての私は戸惑っていた
塾生時代、「新しい人間観」を読み、その考察を書く課題に取り組んだ私は、率直に戸惑いを覚えました。
中でも「人間は万物の王者である」という一文に、強い違和感を抱いたのです。
その背景には、2008年に地元舞鶴の引揚記念館での研修企画がありました。
当時、ある語り部の方が語ってくださったお話ーー
敗戦後、ソ連軍の侵攻を前に女性や子どもたちは、生き延びる術を失い、命を絶つ選択を強いられた――中には、軍部から渡された青酸カリを手に取らざるを得なかった、という証言も伺い、私は大きな衝撃を受けました。
この現実を前にして、戦争の悲惨さ、人間の愚かさや弱さを直視せざるを得ず、「人間は偉大な存在だ」と語る言葉を素直に受け入れることができなかったのです。
◆ 今、毎朝唱える「新しい人間観」が教えてくれるもの
年月を経たいま、私は少しずつ塾主の言葉の真意に触れられるようになってきました。
現在、私は毎朝
•「新しい人間観」
•「新しい人間道」
他
を声に出し、心静かに唱える習慣を続けています。
この繰り返しの中で、かつて理解しきれなかった言葉の深みが、少しずつ心に沁みてくるようになりました。
また、松下幸之助研究の第一人者である佐藤悌二郎先生から、PHP研究所での月1回の定例勉強会で「新しい人間観」についての連続10回講座を受けたことも、理解を深める大きな助けとなりました。
「新しい人間観」に込められているのは、人間の現実の弱さや矛盾を受け止めつつ、それでもなお「人間は本来、生成発展する尊い存在である」という信頼と希望の哲学です。
▷ 全文はこちらからご覧いただけます
https://konosuke-matsushita.com/keywords/human-nature-universe/no5.php
※出典:PHP総合研究所「松下幸之助.com」より。
◆ 「王者」としての責務と、「衆知」の力
「人間は万物の王者である」と述べた塾主の真意は、決して傲慢な支配を意味するものではありません。
原文にもこうあります:
「真の王者であるということは、自己の感情、欲望、愛情などにとらわれず、正しい価値判断に努めて、人間として万物それぞれを生かし、広く共同生活を向上進歩させようということ」
この“王者”とは、私利私欲を離れ、自然の理法に順応し、社会全体を調和に導く存在のことです。
そして人間は、個々では不完全な存在であり、「衆知」――すなわち多くの人の智慧が融合することで初めて、天命を果たすことができるとも説かれています。
この考え方は、まさに現代における民主主義・自治・共生の基盤とも重なります。
◆ すべては「結局みんなが幸せになればええんや」に集約される
「新しい人間観」は、宇宙や自然の理法といった壮大なビジョンを掲げていますが、塾主の根底にあったのは、きわめて人間らしい優しさでした。
「結局みんなが幸せになればええんや」
この一言に、すべてが凝縮されていると、今の私は感じます。
政治とは、本来、人々の幸福のためにあるもの。
制度や政策をどれだけ整えても、「人を幸せにしたい」という原点を見失えば、本質を見誤ってしまいます。
◆ 志を共有する仲間とともに
9月14日、私は松下政経塾(茅ヶ崎市)を訪れ、同期(28期生)の仲間たちと再会しました。
私たちの同期であり、衆議院議員として教育政策に尽力した宮川典子さんの七回忌に献花式、偲ぶ会を執り行い、塾で共に学んだ日々や現況について語り合い、志に向き合いました。
「志に生きるとは何か」
それぞれが試練を抱えながらも、今なお志の道を歩み続けています。
私もまた、「人々の幸せを追求し、その力(天分)を生かす政治」を地方から実践し続けていくことを、改めて胸に誓いました。
松下幸之助塾主の教えに立ち返りながら、仲間とともに志を磨き、これからも歩んでまいります。

🌱次回予告
次回【第4回】のテーマは
「素直な心」が組織と社会を変える。
経営の現場で培われた松下幸之助塾主の哲学――
「素直な心」が、なぜ今、政治・行政の現場でも必要とされるのか。
共感する力、聴く姿勢、謙虚なまなざしを軸に、リーダーシップと組織づくりの本質に迫ります。
🌳公開予定日:2025年10月15日(水)
ぜひ次回もご覧いただければ嬉しいです。
― 松下幸之助塾主「新しい人間観」の本質にふれて ―
◆ 政治の原点は「人間とは何か」の問いから
政治とは、制度や法律を整えること自体が目的ではありません。
その原点は常に、「人間とは何か」「人間はどう生きるべきか」という根源的な問いにあります。ここを見失えば、どれほど立派な仕組みも空洞化してしまいます。
松下幸之助塾主は、松下政経塾の開塾にあたり、まず塾生に「人間を把握すること」を説かれました。
最初に学ぶべきは憲法や政策論ではなく、「人間をどう捉えるか」という根本的な人間観です。制度や仕組みがいかに整っていても、人間へのまなざしが誤っていれば、やがて形だけのものとなり、本来の役割を失ってしまうからです。
教育・医療・福祉――あらゆる政策は、つまるところ「人が幸せに生きるための手段」です。
その根底には、「人間の可能性を信じ、引き出す」ことへの確信がなければなりません。
この確信こそ、私が日々立ち返る原点であり、松下幸之助塾主が提唱された『新しい人間観』に、その思想は明快に示されています。
◆ 「人間は万物の王者である」――かつての私は戸惑っていた
塾生時代、「新しい人間観」を読み、その考察を書く課題に取り組んだ私は、率直に戸惑いを覚えました。
中でも「人間は万物の王者である」という一文に、強い違和感を抱いたのです。
その背景には、2008年に地元舞鶴の引揚記念館での研修企画がありました。
当時、ある語り部の方が語ってくださったお話ーー
敗戦後、ソ連軍の侵攻を前に女性や子どもたちは、生き延びる術を失い、命を絶つ選択を強いられた――中には、軍部から渡された青酸カリを手に取らざるを得なかった、という証言も伺い、私は大きな衝撃を受けました。
この現実を前にして、戦争の悲惨さ、人間の愚かさや弱さを直視せざるを得ず、「人間は偉大な存在だ」と語る言葉を素直に受け入れることができなかったのです。
◆ 今、毎朝唱える「新しい人間観」が教えてくれるもの
年月を経たいま、私は少しずつ塾主の言葉の真意に触れられるようになってきました。
現在、私は毎朝
•「新しい人間観」
•「新しい人間道」
他
を声に出し、心静かに唱える習慣を続けています。
この繰り返しの中で、かつて理解しきれなかった言葉の深みが、少しずつ心に沁みてくるようになりました。
また、松下幸之助研究の第一人者である佐藤悌二郎先生から、PHP研究所での月1回の定例勉強会で「新しい人間観」についての連続10回講座を受けたことも、理解を深める大きな助けとなりました。
「新しい人間観」に込められているのは、人間の現実の弱さや矛盾を受け止めつつ、それでもなお「人間は本来、生成発展する尊い存在である」という信頼と希望の哲学です。
▷ 全文はこちらからご覧いただけます
https://konosuke-matsushita.com/keywords/human-nature-universe/no5.php
※出典:PHP総合研究所「松下幸之助.com」より。
◆ 「王者」としての責務と、「衆知」の力
「人間は万物の王者である」と述べた塾主の真意は、決して傲慢な支配を意味するものではありません。
原文にもこうあります:
「真の王者であるということは、自己の感情、欲望、愛情などにとらわれず、正しい価値判断に努めて、人間として万物それぞれを生かし、広く共同生活を向上進歩させようということ」
この“王者”とは、私利私欲を離れ、自然の理法に順応し、社会全体を調和に導く存在のことです。
そして人間は、個々では不完全な存在であり、「衆知」――すなわち多くの人の智慧が融合することで初めて、天命を果たすことができるとも説かれています。
この考え方は、まさに現代における民主主義・自治・共生の基盤とも重なります。
◆ すべては「結局みんなが幸せになればええんや」に集約される
「新しい人間観」は、宇宙や自然の理法といった壮大なビジョンを掲げていますが、塾主の根底にあったのは、きわめて人間らしい優しさでした。
「結局みんなが幸せになればええんや」
この一言に、すべてが凝縮されていると、今の私は感じます。
政治とは、本来、人々の幸福のためにあるもの。
制度や政策をどれだけ整えても、「人を幸せにしたい」という原点を見失えば、本質を見誤ってしまいます。
◆ 志を共有する仲間とともに
9月14日、私は松下政経塾(茅ヶ崎市)を訪れ、同期(28期生)の仲間たちと再会しました。
私たちの同期であり、衆議院議員として教育政策に尽力した宮川典子さんの七回忌に献花式、偲ぶ会を執り行い、塾で共に学んだ日々や現況について語り合い、志に向き合いました。
「志に生きるとは何か」
それぞれが試練を抱えながらも、今なお志の道を歩み続けています。
私もまた、「人々の幸せを追求し、その力(天分)を生かす政治」を地方から実践し続けていくことを、改めて胸に誓いました。
松下幸之助塾主の教えに立ち返りながら、仲間とともに志を磨き、これからも歩んでまいります。
🌱次回予告
次回【第4回】のテーマは
「素直な心」が組織と社会を変える。
経営の現場で培われた松下幸之助塾主の哲学――
「素直な心」が、なぜ今、政治・行政の現場でも必要とされるのか。
共感する力、聴く姿勢、謙虚なまなざしを軸に、リーダーシップと組織づくりの本質に迫ります。
🌳公開予定日:2025年10月15日(水)
ぜひ次回もご覧いただければ嬉しいです。
2025年08月15日
【第二回】「理想なき国に未来はない」
「理想なき国に未来はない」
― 松下幸之助塾主の日本国憲法の前文私案と、“人間観”からはじまる政治 ―
前回、私は「混迷の時代にこそ松下幸之助塾主の精神を」と題し、政治の原点としての志と思想哲学を綴りました。今回はさらに踏み込み、塾主が描いた理想国家のかたち――すなわち「憲法私案」に込められた想いと、それを支える「人間観」についてお伝えしたいと思います。
■ 私は毎朝、塾主の言葉とともに目覚める
午前4時半に起床し、毎朝、松下幸之助塾主に向き合うことを日々、続けています。
• 『新しい人間観』
• 『新しい人間道』
• 松下政経塾 塾是・塾訓/五誓の唱和
• 林英臣政経塾 建塾の精神/五誓の唱和
• そして、松下幸之助塾主による『日本国憲法前文 私案』
これらを声に出して暗唱し、日々の指針とする――まさに私にとっての「寝ても覚めても、松下幸之助の実践」です。
この習慣は、私の信念を支える精神的支柱であり、「政治とは何か、人間をどう観るか」「国家とは何のために存在するのか」という問いに、毎朝立ち返る時間です。
■ 「理想なき国に未来はない」
松下塾主は、「理想なき国に未来はない」と繰り返し説かれました。
この言葉は、私の政治活動の中核にある信条でもあります。
制度や法案、予算や対策ももちろん大切です。
しかしそれらはすべて、「何のために」行うのかという国家としての志=理想に裏打ちされてこそ、初めて意味を持つものです。
それを欠けば、政治は方向を見失い、漂流してしまう。
塾主が遺した憲法前文の私案には、まさにその理想が言葉として結晶しています。
■ 憲法私案に込められた“国のあり方”への想い
「広い自由と高い秩序のもとに限りなく生成発展していくことを念願する」
「普遍的人間性にもとづいて正しい社会正義を打ち立て、日本国民としての権利と義務を正しく自覚実践する」
「世界に比類のない天皇を象徴とした国民主権の民主主義体制を誇りとする」
「全人類の繁栄、平和、幸福に寄与せんことを誓う」
これらの言葉は、政治家に求められる志・大局観・覚悟のすべてを内包しています。
憲法とは、制度や仕組みを超えて、国家が何を大切にし、いかなる未来を志すのかという理念を映し出す鏡であるべきです――まさにその哲学が、この私案には込められています。
■ 人間とは何か――その答えが、政治を導く。
松下政経塾の塾是にはこうあります。
「新しい人間観に基づく政治・経済の理念を探求し…」
つまり、政治や経営の理念を本質から探求するためには、まず何よりも『新しい人間観』への理解が不可欠だということです。
私はその信念のもと、毎日『新しい人間観』『新しい人間道』を読み上げ、政治家としての原点を確かめています。
■ 地方政治こそ、国家の理想を担う
私は今、京都府議会議員として活動しています。
地方は現場であり、最も国民に近い「政治の原点」です。
この現場からこそ、松下幸之助塾主が目指された“国家の理想”を形にしていきたい。
教育、子育て、医療、産業――すべての政策の背後に、
「人間の幸福とは何か」「国家のあるべき姿とは何か」という哲学を宿らせること。
これが、私の志であり、使命であると確信しています。
■ 次回予告
次回は「人間を中心に据えた政治とは何か」をテーマに、松下塾主の“人間尊重”の政治哲学と、現代における具体的実践を掘り下げていきます。
*毎月15日に1本ずつテーマを決めて書いていきます。まずは12回の連載に挑戦します^^
🌱結びに
日々の実践が、思想を現実に変える。
私の朝は、塾主の声とともに始まります。
「理想なき国に未来はない」――この言葉を胸に、
今日もまた、政治の現場に立ち続けます。
― 松下幸之助塾主の日本国憲法の前文私案と、“人間観”からはじまる政治 ―
前回、私は「混迷の時代にこそ松下幸之助塾主の精神を」と題し、政治の原点としての志と思想哲学を綴りました。今回はさらに踏み込み、塾主が描いた理想国家のかたち――すなわち「憲法私案」に込められた想いと、それを支える「人間観」についてお伝えしたいと思います。
■ 私は毎朝、塾主の言葉とともに目覚める
午前4時半に起床し、毎朝、松下幸之助塾主に向き合うことを日々、続けています。
• 『新しい人間観』
• 『新しい人間道』
• 松下政経塾 塾是・塾訓/五誓の唱和
• 林英臣政経塾 建塾の精神/五誓の唱和
• そして、松下幸之助塾主による『日本国憲法前文 私案』
これらを声に出して暗唱し、日々の指針とする――まさに私にとっての「寝ても覚めても、松下幸之助の実践」です。
この習慣は、私の信念を支える精神的支柱であり、「政治とは何か、人間をどう観るか」「国家とは何のために存在するのか」という問いに、毎朝立ち返る時間です。
■ 「理想なき国に未来はない」
松下塾主は、「理想なき国に未来はない」と繰り返し説かれました。
この言葉は、私の政治活動の中核にある信条でもあります。
制度や法案、予算や対策ももちろん大切です。
しかしそれらはすべて、「何のために」行うのかという国家としての志=理想に裏打ちされてこそ、初めて意味を持つものです。
それを欠けば、政治は方向を見失い、漂流してしまう。
塾主が遺した憲法前文の私案には、まさにその理想が言葉として結晶しています。
■ 憲法私案に込められた“国のあり方”への想い
「広い自由と高い秩序のもとに限りなく生成発展していくことを念願する」
「普遍的人間性にもとづいて正しい社会正義を打ち立て、日本国民としての権利と義務を正しく自覚実践する」
「世界に比類のない天皇を象徴とした国民主権の民主主義体制を誇りとする」
「全人類の繁栄、平和、幸福に寄与せんことを誓う」
これらの言葉は、政治家に求められる志・大局観・覚悟のすべてを内包しています。
憲法とは、制度や仕組みを超えて、国家が何を大切にし、いかなる未来を志すのかという理念を映し出す鏡であるべきです――まさにその哲学が、この私案には込められています。
■ 人間とは何か――その答えが、政治を導く。
松下政経塾の塾是にはこうあります。
「新しい人間観に基づく政治・経済の理念を探求し…」
つまり、政治や経営の理念を本質から探求するためには、まず何よりも『新しい人間観』への理解が不可欠だということです。
私はその信念のもと、毎日『新しい人間観』『新しい人間道』を読み上げ、政治家としての原点を確かめています。
■ 地方政治こそ、国家の理想を担う
私は今、京都府議会議員として活動しています。
地方は現場であり、最も国民に近い「政治の原点」です。
この現場からこそ、松下幸之助塾主が目指された“国家の理想”を形にしていきたい。
教育、子育て、医療、産業――すべての政策の背後に、
「人間の幸福とは何か」「国家のあるべき姿とは何か」という哲学を宿らせること。
これが、私の志であり、使命であると確信しています。
■ 次回予告
次回は「人間を中心に据えた政治とは何か」をテーマに、松下塾主の“人間尊重”の政治哲学と、現代における具体的実践を掘り下げていきます。
*毎月15日に1本ずつテーマを決めて書いていきます。まずは12回の連載に挑戦します^^
🌱結びに
日々の実践が、思想を現実に変える。
私の朝は、塾主の声とともに始まります。
「理想なき国に未来はない」――この言葉を胸に、
今日もまた、政治の現場に立ち続けます。
2025年08月01日
【第1回】混迷の時代にこそ、松下幸之助塾主の精神を〜『松下幸之助発言集』からの気付き#2『人間としての成功』について
『人間としての成功』について
(松下幸之助発言集 第十一巻/慶應義塾大学特別講演会・昭和37年5月8日より)
「人間の一生のうち90パーセントは、自分の意思以外の作用によって決まる。」
☆90パーセントは自分の意思を超えている
松下幸之助塾主は以下のように述べられています。
「人間の一生100パーセントのうち、90パーセントというものが、自分の意思以外の作用によっていろんな状態に変わっていくのである。はなはだ面白いなという感じがする。あとの残る10パーセントだけがその人の意識によって変わる部分だと、こういうふうに考えています。」
90パーセントが自分の意思を超えたものだとすると、努力しても無駄だと思う人もいるかもしれません。
しかし、松下幸之助塾主は、むしろそうした状況の中にこそ安心を見いだされ、「大楽観・小悲観」という言葉に表れるように、人生を前向きに受け止める考え方を示されています。
「みんな決まっているんだというふうなことでは面白くないということにもなりましょうが、ここを一歩突き抜けて考えると、実に安心立命というか、淡々とした境地になる。」
つまり、自分の力ではどうにもならないことが多いからこそ、与えられた運命を受け入れ、残された10パーセントの中で最善を尽くす。そこに人間としての落ち着きと生き方の知恵があるということです。
☆自分の境涯を「体験の場」とする
また、松下幸之助塾主は、自身の不遇な境涯を決して恨むことはありませんでした。
「自分の境涯は不幸であるがゆえに、いろんなことが体験できるんだ。人が遊んでいるときに自分は拭き掃除をしなければならない。しかし、拭き掃除するというところに、いいしれない人生の教訓が含まれている。」
ここに、松下幸之助塾主の人生観が凝縮されています。
不遇や困難をただの不幸としてとらえるのではなく、「人生の教訓を受け取る体験の場」として味わう。その視点の転換こそが、精神の強さにつながっていたのだと考えられます。
☆命さえも運命によって守られた
さらに松下幸之助塾主は、驚くべき体験もされています。
「私が自転車に乗っておりまして、一方から自動車が来た。そして四つ辻で正面衝突して、私の自転車はこっぱみじんになって三間ほど飛ばされた。私が投げ出されたところへ電車がやって来て、私の一間ほど前で止まった。……それでも何もケガもしなければ、かすり傷一つ受けなかった。」
死んでいてもおかしくない事故からも生還し、この体験をこう受け止めます。
「はあ、おれはそういう運命をもっているな、という感じがするのであります。」
ここにも、自分を超えた何かに運ばれているという感覚がにじみ出ています。
☆ほんとうの成功とは何か
こうした考えの末に、松下幸之助塾主は「人間としての成功」をこう定義しました。
「ほんとうの成功は、自分の与えられた運命に生きることです。」
もし自分が乞食になる運命であっても、その運命を受け入れた上で、乞食の大将になるくらいの度胸で生きる――それが人間としての成功だというのです。
☆運命を受け入れ、淡々と生きる
松下幸之助塾主の人生は、決して平坦ではありませんでした。病弱な幼少期、倒産の危機、幾度もの不景気。。。
「今日あることを誇りにする必要もない、素直にそういうような運命を承認すればいい、淡々としておればいい。」
運命を受け入れ、淡々と、しかし残された10パーセントの自由の中で最善を尽くす――。
それが松下幸之助塾主の見出した「人間としての成功」だったのです。
まずは、自分に与えられた天命や運命をしっかりと自覚することから始めなければなりません。
そして、そのためには何よりも「素直な心」が欠かせません。
日々精進を重ね、少しずつでもその境地に近づいていきたいものです。
*次回も、松下幸之助塾主のことばをもとに、日々の学びと気付きを綴ってまいります。
2025年07月17日
【第1回】 混迷の時代にこそ、松下幸之助塾主の精神を〜『松下幸之助発言集』からの気付き#1『熱意』の重要性について
このたび「おはら舞活動日誌」に、新たなカテゴリー
《寝ても覚めても ― 今こそ、松下幸之助塾主の志を継ぐ》 を、2025年7月15日より開設いたしました。
私は、政治家として歩む日々の中で、常に松下幸之助塾主の思想・哲学を心の礎としております。塾主の考えに真正面から向き合うための取り組みとして、全45巻におよぶ『松下幸之助発言集』を、毎朝一章ずつ丁寧に読み進めております。
読むたびに多くの気付きや学びがありますが、それらを自らの中にとどめるのではなく、発信し共有することで、少しでも多くの方々とともに志を深めていきたい――そう思うようになりました。
今後は、毎月15日に1回の連載としてテーマを設定し、まずは全12回のシリーズに挑戦いたします。
初回は
【第1回】「混迷の時代にこそ、松下幸之助塾主の精神を」
からスタートいたします。
ゆくゆくは、この連載をもとに勉強会の開催や対話の場づくりにもつなげていきたいと考えております。また、日々の中で得た気づきや思索についても、不定期で綴ってまいります。
まだ模索しながらの取り組みではありますが、今年の目標に掲げた「挑戦」の一環として、心を込めて続けてまいります。ご一読いただければ幸いです。
『松下幸之助発言集』第12巻(『経営者会報』昭和38年1月号「誇れる経済の見方と中小企業論」より)
経営においていちばん大切なのは「知識」よりも「熱意」
今日ご紹介したいのは、松下幸之助塾主のこの言葉です。
「経営者にとって、知識や才能は最高でなくてもよい。だが、“経営する熱意”だけは最高でなくてはならない。」
塾主は、経営者に求められる資質として、学歴や能力よりも「熱意」を最重視されていました。
知識や才能が多少不足していても、熱意があれば、人は自然と集まり、助けてくれる。番頭さんも、小僧さんも、「この人のために頑張りたい」と思わせるのは、知識ではなく熱意だと。
一方で、知識も熱意も持ち合わせた経営者が、すべてを自分で抱え込もうとすれば、ワンマン化し、かえって組織はうまく回らない。
だからこそ、熱意を持ってまわりを信じ、任せ、喜んでその働きを支える「器」が経営者には必要だというのです。
この言葉を読んで、私は政治や地域づくりにも同じことが言えると感じました。
専門知識に優れた職員や地域の方々がいても、リーダーに“本気”がなければ物事は動かない。
逆に、リーダーが誰よりも強い熱意を持っていれば、人は自然と集い、力を発揮し、喜びを持って動いてくれる。
その熱意を信じてくれる人を、真心をもって支える姿勢こそが、組織の土台となる。
「技術や才能は、部下がやってくれる。経営者は熱意で引っ張る存在でなければならない。」
塾主のこの言葉を、改めて心に刻み、私自身も日々の活動に活かしていきたいと思います。
✏️次回も、松下幸之助塾主のことばをもとに、日々の学びと気付きを綴ってまいります。
2025年07月16日
【第1回】 混迷の時代にこそ、松下幸之助塾主の精神を
本日よりこのブログでは、松下政経塾第28期生として学ばせていただいた経験をもとに、私自身が日々向き合い続けている「松下幸之助塾主の思想と哲学」に光を当て、現代社会におけるその意義と可能性について綴ってまいります。
なぜ今、松下幸之助塾主なのか?
それは、混迷を極める今の時代にこそ、塾主の「人間観」「国家観」「経営観」に学ぶべき知恵と力が詰まっているからです。
◆ 松下幸之助という人物
松下幸之助氏は、ご存じの通り、パナソニック(旧・松下電器産業)を一代で築き上げた「経営の神様」として世界的に知られています。しかし、塾主の偉大さは単に事業の成功だけにとどまりません。
戦後の混乱期には、政治家や官僚に対しても多くの提言を行い、1979年には人材育成機関「松下政経塾」を設立。
「真に日本と世界の進歩と平和に貢献する政治家・リーダーの育成」という志のもと、思想と哲学を未来に託しました。
◆ 第1回テーマ:混迷の時代にこそ、松下幸之助塾主の精神を
いま、日本も世界も、大きな転換点に立たされています。経済、教育、安全保障、そして地方の未来──あらゆる分野において答えが見えにくい、まさに「混迷の時代」です。
しかし、こうした時代にこそ私たちは、原点に立ち返る必要があるのではないでしょうか。
私は、松下幸之助塾主の思想・哲学を学ぶために2007年に松下政経塾の28期生として入塾し、そして今、京都府議会議員として、地域に根ざした政治に取り組んでいます。
松下幸之助塾主は、戦後の焼け野原から高度経済成長を築き上げた、まさに「国づくり」の思想家でもありました。
「政治理念の確立なくして力強い政治は生まれてこない」
松下幸之助塾主の根底には、「人間を中心とした経営と政治」、そして「一人ひとりが主人公である社会」の実現があります。国民一人ひとりが光を放ち、地方が活気にあふれることこそが、真に豊かな国をつくる道だと確信しておられました。
私は、地方から日本を変えることができると信じています。なぜなら、地方には人がいて、暮らしがあり、未来を担う子どもたちがいるからです。そこにこそ、再生の芽があり、希望があります。
そして日本が変われば、世界にもその影響を与えることができます。誠実で真心ある政治、謙虚で強い経済、そして思いやりある社会――松下幸之助塾主が目指したのは、まさにそのような国の姿でした。
これからこのブログでは、塾主の言葉や精神を今の時代に照らしながら、私自身の政治活動、地域づくりへの思いと重ねて綴ってまいります。
ともに考え、ともに歩み、ともに未来を創りましょう。


